ご無沙汰している間に。
- 梓 塩屋
- 7月22日
- 読了時間: 3分
なんだか随分、こちらでの筆が遠のいていました。
その間、本当にいろいろなことがあった…
まずは、2025年3月末、
生まれ育った『長崎』から『福岡』に引っ越しました。
引っ越そうか、という案は、ここ数年ずっと家庭内で出ていたんだけど、
本当に一気にその時が来ました。
なぜか?について書くにはあまりにも膨大な字数が必要なのだけど、
端的に言うと、夫が転職したからです。
夫40歳、未経験の業界に飛び込み、四苦八苦しながら頑張っている。
オーバーワークで前職で身体を壊したから、本当はもう少しゆっくりする
時間が必要だったのかもしれないけれど、
始まってしまったのだから仕方がない、人間やるしかない時はあるもんだ。
娘小2はあっさりと新しい学校に馴染み、お友達とも楽しそう。
でも彼女なりにきっと色々あると思う。
私はというと、福岡には小さい頃から馴染みがあって。
1年くらいかな、学生時代に住んでいたことがあったけど、
その時と今とは大きく違う。
一人じゃないんだもの。
妻と母の業務を優先させていたら、正直おかしくなりそうだった。
そんな時期もありました。
「家庭優先」をしすぎたらめまいがしそうだったので、小さな小さな
作品展や、ずっと温めてきたWSも開催して、
少しずつここに根を張っているところです。
ここ数年、たくさんの「当たり前」を手放す過程があり、
この移動がその最終章みたいなものかな。
「人は新しいことが苦手。コンフォートゾーンを越えたくない生き物。」
私は案外人よりその概念が薄い方だと言う自負があった。
だけど、それでも、あ、こういうことなんだな、ってことがたくさんある。
例えば、
ダイソーで目的のものがどこにあるのか、なかなか見つけられないこと。
5分もあれば終わるのに、同じところをぐるぐる何周もしている時に
少し疲れていたのかな、ものすごく孤独感が襲ってきたり。
例えば、余裕でバスを乗り間違う。
どっちだっけ?この路線はここ通らないんだ〜
そんなことは日常茶飯事です。
だけど、これは前に進んでいる過程に起こっていること。
私、コンフォートゾーンを抜けたんだな、と自分の世界が広がったことに
今は喜びと充実感を覚えられています。
大人になるにつれ、どうしても頑固になっていく。
これは仕方がないことかもしれない。
10代の頃、身近な30歳前後の大人たちをみて、
「どうしてこんなに持論を展開するんだろうか?」と
思ってきたけど、漏れなく私もその仲間入りをしているはず。
それでも、時々でいい。自分を揺さぶって新鮮さを受け入れていこうと思う。
なるべく柔軟なおばさんになれるよう、
まずはこの新しい生活を好意的に受け止めてみています。
私は、行きたくないとも、帰りたいとも思っていない、今のところ。
でもおそらく、またどこかに行くかもしれないね。とはうっすら感じている。
またその時、新しい土地でストレスを感じるかもしれないけど、
それでも私は性懲りも無くフラフラしそうです。
それくらい、根無草でありたいな。
越してきたばかりの人が何を言っているのか、と思うけれど、
きっと私は生涯ウロウロして、歳をとるだろう。
そして毎回、まだなれないのよね〜などというに違いない。
この新生活は、そんな描きたい未来への一歩なのかも。

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