昔から、エッセイが好きだった。
昔からっていつぐらいのことかというと、
多分小四くらい。
はじめてのそれは、登竜門であろう、
さくらももこさんのエッセイだったことを覚えている。
そして小五の頃、何故か室井滋さんのエッセイを読んでいた。
その夏、わたしは鼻の手術で1週間程度、いやもっと短い期間だった気もするが、とにかく入院し、手術を受けた。
担任の先生が、夏休みなのにも関わらず、入院の前日、クリーム色のクマのぬいぐるみを家まで来てプレゼントしてくれた。
お返しに何か贈ろう、と言ったのはわたしだったか母だったかは定かでないが、
室井滋さんのエッセイを先生にプレゼントした。もちろん新しく本屋さんで買って。
先生はあの時どんな気持ちだったのだろう、あの頃のわたしの所業に少々引いてしまう。
いくらなんでも、お返しにソレはないだろう。
自分が良いと太鼓判を押せないと人にシェアできないところ、これは今でもそうなのだけれど、お土産やなんかのセンスは鍛えたいとも思っているんだけど、あの頃より随分と丸くはなった。少なくとも、そう自覚はしているつもりだ。
そもそもなぜエッセイが好きなのかというと、
その人の内側をなんとなく知れる気がする、
そこが大きな魅力なのだと思う。
わたしはお笑いが好きなのだけど、
正直ネタ番組よりも、彼・彼女らが出演する、バラエティーの方が好きだ。
ゴールデンではなくて、コアなやつね。
これもエッセイが好きな理由と通ずるところがある。
(もちろん、それでもお仕事としている以上、素ではないことは承知の上で。)
その人の本質、何を大切にしていて、どんな世界が広がっているのか。
頭を割って、心を割いて見ることができない分、言葉や表現で感じたいのだろう、わたしは。ほんの少しでいいから垣間見たい、みたいなところは常にある気がしている。
だからかな、その時だけ楽しけりゃいい、みたいな感覚は持ち合わせていない。
流されてしまえばいいのに、と思ったことも多々あるけれど、試そうとしても無理なタイプ、と今はわかっているから、交友関係はとても大切にしている。
あとさ、随筆。この言葉もかなりイケていないだろうか。いいよね、カッコいい。
だけどエッセイって、その人のことをもっと知りたい!と思ってもらえる人にしか許されない領域のようにも思う。
だからこそ有名な人の著書は売れるんだろうから。
ノンフィクションを知りたいと思ってもらえるってことは、それだけ魅力がないとね。
小学生の頃の話に戻るが、
確か将来の夢、小六バージョンは、
詩人、エッセイスト、絵本作家
みたいなことを思っていた気がする。
自己顕示欲の強い人間だったことを若干恥じてはいるが、書くこと自体は今でも好きだ。
なので今日から始めてみようと思う。
毎週水曜日、駄文をこねる。
なんてことないことを、自分の自由が与えられたこの場所で。
好きなようにやってみようと思う。
おもしろいとか、上手いとか、そういうことはさておき。
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