梓 塩屋

2021年8月12日3 分

ナナメの夕暮れ 読了。

最終更新: 2021年8月14日

ナナメの夕暮れ/著・若林正恭

読了。


 

昔っからエッセイを好んで読んでいる。


 

星の先生から、

"蟹はエッセイ好き多いよ〜"

と教えてもらって腑に落ちた。


 

小学5年で室井滋のそれを読み、

(その頃共感してくれる友人は皆無)


 

エッセイスト、詩人

がその頃の密やかな夢だった。


 

心に触れたい、触れてもらいたい

ありのままの部分を知りたい。

知ってもらいたい。


 

みたいなところにエッセイはドンピシャなのだろう。

(わたしは蟹座ステリウム、しかもトリプルコンジャンクションてやつで、水星、火星、月が並んでいます。)


 

憧れが募り、今年はブログもたくさん書こう、

なるだけ書こうと思っていて、少しずつ書き溜めているところ。


 

てっきり、自己顕示欲を示したいのかな、

MC獅子の仕業なのかと思ってたけど、


 

ただただ書いてほっとしたいのかも、と書き換えられて、少し安堵。

(もちろん獅子の仕業もなくはないんだろう)


 

それでも、蟹の長所であり短所の、

"共感性"が問題だ。


 

好きでやってりゃいいものを、わかってほしいという欲が出てくる。


 

蟹がいつも私の悩みの根源なんだよなぁ〜

(お隣の双子の暴走をくよくよ悩みすぎるのもここだし…)


 

ただ昔と違って、うまく泣けるようになったことは確か。蟹にとっての涙の意味を理解できるようになったのかも、と思っている。

"蟹座の人は泣くことがリフレッシュになる"という教え、初めは嫌悪感すらあったから。


 

心に沿うと、自分のいいところもダメなところも浮かび上がってくるから、時々心底嫌になるけど、"何者なのかわからない"感じはない。


 

だから何だって学びで、経験を買わせてもらっていると思えるようになってきた。


 

この本は、わたしが何となく、詰まりが取れたような感覚を、要するにこう、と言葉にしてくれているような一冊だった。


 

だからこそズキズキとしたのかもしれない。

もう、泣きそうだったもの。


 

誰にでも受け入れられるような本ではないのかもしれない。

それでもいい、と筆を持ち続けた筆者の人間らしさがとても好きだなと思った。


 


 

わたしは一皮剥けば、湿度85%の人間。

そんなわたしがどうにか生きてこられているのは、あーわかるよ〜とか、ダメダメだけど、そこも含めてなんか好きだとか、そんな風に思ってくれている身近な人たちがいてこそだ。


 

人は鏡だというならば、

著者=わたし ということなのだろう。

だからこそ、グッときてしまったのかな。


 

本にもあった。

上にあげたような"合う人との縁を大切にすること"もうそれだけでいいんじゃないかってこと。


 

わたしは今まで全方位に何となくよく思われとこう、とりあえず、そこそこのラインで、深く付き合わないことを選んでいたから、コレジャナイ感が強かった。

うまくヘラヘラすることも得意だし。


 

そういうのをやめたら途端に楽になった。

その分、自分で勝負するからこその色々はある。


 


 

"合う人に会うこと"と

"合わない人に会わなくても済む"

ことは相当タフでないといけない気が、わたしもしている。


 

だけど、こっちの方が心地よいんだから、こんなわたしでもがんばれそうだ。

(あとがきより引用)


 

わたしもそう思ったよ、若林氏、足りなくてもいいよね!

足りない自分を探すというより、もう見つかったから、歪さを慈しみ育てるしか道はないと思っている。

それでいい。完璧でない自分に、存分に喜び存分に泣こう。


 


 

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