ナナメの夕暮れ/著・若林正恭
読了。
昔っからエッセイを好んで読んでいる。
星の先生から、
"蟹はエッセイ好き多いよ〜"
と教えてもらって腑に落ちた。
小学5年で室井滋のそれを読み、
(その頃共感してくれる友人は皆無)
エッセイスト、詩人
がその頃の密やかな夢だった。
心に触れたい、触れてもらいたい
ありのままの部分を知りたい。
知ってもらいたい。
みたいなところにエッセイはドンピシャなのだろう。
(わたしは蟹座ステリウム、しかもトリプルコンジャンクションてやつで、水星、火星、月が並んでいます。)
憧れが募り、今年はブログもたくさん書こう、
なるだけ書こうと思っていて、少しずつ書き溜めているところ。
てっきり、自己顕示欲を示したいのかな、
MC獅子の仕業なのかと思ってたけど、
ただただ書いてほっとしたいのかも、と書き換えられて、少し安堵。
(もちろん獅子の仕業もなくはないんだろう)
それでも、蟹の長所であり短所の、
"共感性"が問題だ。
好きでやってりゃいいものを、わかってほしいという欲が出てくる。
蟹がいつも私の悩みの根源なんだよなぁ〜
(お隣の双子の暴走をくよくよ悩みすぎるのもここだし…)
ただ昔と違って、うまく泣けるようになったことは確か。蟹にとっての涙の意味を理解できるようになったのかも、と思っている。
"蟹座の人は泣くことがリフレッシュになる"という教え、初めは嫌悪感すらあったから。
心に沿うと、自分のいいところもダメなところも浮かび上がってくるから、時々心底嫌になるけど、"何者なのかわからない"感じはない。
だから何だって学びで、経験を買わせてもらっていると思えるようになってきた。
この本は、わたしが何となく、詰まりが取れたような感覚を、要するにこう、と言葉にしてくれているような一冊だった。
だからこそズキズキとしたのかもしれない。
もう、泣きそうだったもの。
誰にでも受け入れられるような本ではないのかもしれない。
それでもいい、と筆を持ち続けた筆者の人間らしさがとても好きだなと思った。
わたしは一皮剥けば、湿度85%の人間。
そんなわたしがどうにか生きてこられているのは、あーわかるよ〜とか、ダメダメだけど、そこも含めてなんか好きだとか、そんな風に思ってくれている身近な人たちがいてこそだ。
人は鏡だというならば、
著者=わたし ということなのだろう。
だからこそ、グッときてしまったのかな。
本にもあった。
上にあげたような"合う人との縁を大切にすること"もうそれだけでいいんじゃないかってこと。
わたしは今まで全方位に何となくよく思われとこう、とりあえず、そこそこのラインで、深く付き合わないことを選んでいたから、コレジャナイ感が強かった。
うまくヘラヘラすることも得意だし。
そういうのをやめたら途端に楽になった。
その分、自分で勝負するからこその色々はある。
"合う人に会うこと"と
"合わない人に会わなくても済む"
ことは相当タフでないといけない気が、わたしもしている。
だけど、こっちの方が心地よいんだから、こんなわたしでもがんばれそうだ。
(あとがきより引用)
わたしもそう思ったよ、若林氏、足りなくてもいいよね!
足りない自分を探すというより、もう見つかったから、歪さを慈しみ育てるしか道はないと思っている。
それでいい。完璧でない自分に、存分に喜び存分に泣こう。
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