梓 塩屋

2020年9月29日3 分

引き寄せとかシンクロニシティとか

正直に言って、このことには疑問がある。なにそれ?って思って斜めに見ているところはあります。

引き寄せが〜とかが流行った頃、一応はへぇ〜と真似事をしたことはある。

学ぶということは、真似るが語源なだけあって、まずは素直に従いなぞることからしか始まらないからだ。

始まらないことを誰しも経験の中で身体が理解しているとも思う。

だけど、へぇ〜で終わっていた頃は、欲が全面的に前に出ていたからもちろん引き寄せられるものは何もないに等しかったし、たとえ引き寄せられたぜ!とおもったとしても、うまくいかないものですよ。

試した方ならきっとわかるはず。

最近、私の人生33年を振り返ることを積極的にしてみている。

正直言ってかなりしんどい。

そりゃそうよ、人生道半ばとはいえ、見返したくない映画を見ているようなもの。

それが今までだったので。

自分らしく生きている人は、何度も反芻するかのように過去を振り返っていると思う。

羨ましいです!素敵だと思います!もう一度言う、羨ましい!!

私はそうではなくって、なんと言うか、

こうしておけば、世間的に見て成功といえる道を歩もうとしていた節があります。

心の声を最後に聞いたのは、小学生の頃。

無邪気に、お洋服が好きだ、アートが好きだ、本が好きだ。

もの作りをしたり、絵本作家や詩人、エッセイストになりたいと朧げに思っていたりした。

要は、何かの組織に所属することなく仕事をする人になりたかったということ。

小5で室井滋のエッセイが面白いんだと先生に勧めたり、

もう変人としか言いようがない。それを自身でも理解していた子どもだった。

そんな自分が嫌でもありました。

だから、田舎者の私には叶わぬ夢だし、夢は夢で終わるんだろうとワクワクを早々に捨てまして、いろんな挫折が17〜25歳くらいまでありまして、

やっとこうしているんです。

辛かった〜んだよ〜〜〜

と歌に乗せれるくらいなかなか自分にとってはハードな人生だったと思っていたけど、

時々グッっと腕を引っ張ってもらって軌道修正されていたんだとしたら、

ありがとうしかない。

必要な経験だったと思う。これが無ければ、私は高飛車なOLになっていたであろう。

見てくればかり気にする、いい男がいないとか言いながら、いやいやお前がいい人間じゃないからね、とか言われちゃうような人になっていただろうと思います。

よかった〜って本当に思ってます。経験は財産になりつつある、正直まだ回り道した感は否めないけど、少し良い方に考えられるようになってきたと思います。

全然深みのある味のある人間ではないけど、

私の経験で得たものを伝えていきたいし、無理しなくていいんだよとか、言ってあげたい。

死ななきゃね、なんとかなるよ。

自分の目の前にあることに誠実に向き合って、なんか違うな?と思ったらやめたっていいんじゃない?

他に道なんてたくさんあるよ。

生きてるだけで価値がある存在なんだよ。

生きてるだけでいい。

1ヶ月後、1年後のことなんてわからないとおもうけど、1週間後のことだって予測が立たないこの頃だから、もしかしたら 超ハッピーかもしれない。

超ハッピーじゃなくても、いいことの一つや二つは必ずあるはず。

何より思うのは、まずは心より、身体を休ませてあげること。

人によっては、何年もかかるかもしれないけど、しっかり休んだ分大きく飛べるんじゃないかな。

私はそろそろ休み明けな感じ。

いよいよ自分の本心と向き合えっていう、メッセージがバンバンやってくる1週間です。

こんなこと言うと、嫌悪感を抱く人もいると思うし、私もどうかな〜と思いながら、不安半分で書いてます。

宇宙がどうとかそんなことは私はわかりません。

だけど、無欲な時、素直でいるときに飛び込んでくる言葉がずっと同じことである1週間なもので、いよいよだなぁと踏ん切りがついたような気持ちです。

シンクロってやつはこれか、と思った。

今回はとりあえず従います。

だってまた心身ともに疲れ果てたくないからさ。

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