梓 塩屋

2023年2月18日4 分

なぜ知りたくなるのか

いつだったか、わたしはとても哲学的な子どもだったと思う、と書いたことがあった気がするが、

小さかったこともあり、モヤモヤ考えてばかりで、大した収穫はなかった。

わたしは地方の中でも過疎寄りの地域に住んでいたし、世界はびっくりするほど狭かった。

小4くらいで家にパソコンがきた気がするが、インターネットは普及し始めたばかりで、情報を得るにはあまりにも未熟だった。

もちろん、周りの大人に頼る頭も持ち合わせていなかったので、余計に、である。

何について聞いたらいいかも、自分でよくわかっていなかった。

そうこうしていたら、興味はどんどんおしゃれや流行のものに移っていき、忘れた気になっていたが、幸福感を味わった記憶、残念ながら思い出せない。

達成感というものも味わったことがなかったから、何をしていても、どこか寂しい人間だ、と自分のことを蔑んでいた。

幸せなんてものは、一部の選ばれた人しか掴めないものだ、一生こんなものだろう。疑うことなく、幼少よりこの気持ちが根底にあった。

これは、ある日を境にぱったりと消えた、とは言えず、でもグラデーションで薄く薄く、今は霧くらいにはなっている。

大人になって、小さいわたしは多くを求めすぎていた、ということにも気づけた。

今は朝起きて白湯を飲む瞬間に満たされるし、

作品作りにはとにかくわたしが癒されている。

小さなことからもたくさん幸せは感じられるのだ。

濃度を薄くしてくれたものは何か、というと、

そんな自分とどうにか上手くやっていくために、「知識・情報」を仕入れることに貪欲だったからかもしれない。

つい、深く深く潜りたくなる性質は、こういう時には役にたつ。

学ぶことで救われることは本当に多い。

無知であることで苦しむことは、実は多いのだ。

例えば、

長きにわたって戦ってきた、"抑うつ状態"

わたしの場合は、芸術・作品を生み出すことで解消できることを占星術を学んで知った。

チャートにしっかりと出ていた、あなた鬱気質があるよ、芸術方面に流してあげないと、って。

四柱推命にも出ているみたいだし、たぶん他の心理テストでも出てくる要素であろう。

編み物や針仕事、詩を書いたり、絵を描いたり、、、だからわたしは、小さい時から大好きだったんだな、通りで心が落ち着いていたわけだ。

他にも、体調が悪ければ、体質に合った食事や、運動が必要なこと、休息と、安心して休める環境づくりは、手が抜けないことも知った。

情報を得ると、こんなに苦しいのはわたしだけではないこともわかってほっとした。

芸術家と呼ばれる人の多くは、闇を抱えていて、想いを昇華するように作品にぶつけている前例が少なくはないこと、そのアンバランスさが妙に人を惹きつける源となっていることにも救われた。

精神世界のあれこれをソースとしたものは、古くから美術作品として、世に多く発表されていることも頷ける。

みんなができることをなぜわたしはできないんだろう、苦しんできたが、今は得意を伸ばし、苦手は補完するという考えを持てるようになった。

話は少し逸れるが、

心のあり方を追求すること、これはわたしにとってとても怖いことだった。

だってとても変な人に映ってしまう。

これが怖かったのだ。

追求したところで、ピカソになれるわけでもない。

そんなことを望んでもいない。

でも今年ふと気づいた、自分で自分の首をずっと絞めているということに。

何より恐れていたのは、わたしの中に広がる乖離だったのではないかなと。

やりたいようにさせてあげたい。

わたしがわたしの味方でいてあげさえすればいい。

やっとここに腹をくくれた。

最近は内側の統合を感じている。

あまりにスピリチュアリティに溢れる表現だが、これより他に適切な言葉が見つからないのだ。

世界がとてもやさしく映るようになったし、

自分で言うことではないが、自分自身、人が変わったようだ、と感じる。

なんでも、うまくいく、ようにもなってきた。

わたしは人生をかけて、壮大な謎解きをしているのだと思う。

小さいわたしが抱いていた疑問には、大人になったわたしが答えてあげたい。

そこから得たものは、誰かの役に立つかもしれない。

だからこそ、恐れずに学び、知りたいことを知り、わたしなりに表現をしていくことを自分に許すことにした。ようやくできた。

最大の学びはアウトプットだという。

それが例えば、素敵なお洋服についてでもいいし、美味しいお店だっていい。シェアすることで世界が広がる。

たぶん、これからも苦しいことがたくさんあると思う。あると思うが、そんな時は、自分の世界が狭くなっていることを思い出そう。

どうにかできる術はいくらでもある。

大丈夫なようになっているから、とにかく安心して欲しい。

それをわたしは作品と学びのシェアで伝えていきたい。

大きなことはきっとできないけれど、波紋は広げられるはずだ。

雫が垂れるように、響きあうことができたら、世界はもっと良くなるに決まっている。

まだまだ未知に向かう過程の怖さはあるが、

体験することも大きな学びになるだろう。

そこも、知りたいのだ。

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