梓 塩屋

2020年6月3日3 分

そもそもの話

今日は、わたしの自堕落な一面をひた隠しにして、ちょっとだけ熱いことでも書いてみようと思う。

そもそもの話、わたしは自分は手先が器用なんていう自覚は

これっぽっちも

これっっっぽっちも

無かったのである。

今も、普通の人が、おばちゃんが、ごくごく一般的な脳みそを駆使して必死にひねり出しているだけで、なんて難しいこともできやしない。

ドヤる気持ちは全くないのだ。

むしろ、どう思われるだろうか、これでいいんだろうか と、自信がない。本当にない。

ただし、作家業を選択するまでと、選択してからは明らかに感度は高くなったと感じる。

世の中に素敵なものは嫌になるくらい溢れていて、未熟さを痛感するばかりだ。

だけど、そのものを、ドキドキしながら素晴らしい!と感動して受け取るのと、

嫉妬まじりの何だかんだ複雑な気持ちで受け取るのとでは、自分のこれからが変わってくると思うのだ。

他者を認め、素敵ですね、と真正面から認めて、伝えられるならば伝える。

そもそもの話、羨ましいならば、自分も頑張って行くしかないのだ。

一足飛びに有名になりたいとか、売れたいなんて無理な話である。

(有名になりたい欲がある訳ではないので。あくまでも例えなんだけど。)

長い長い下積みを経て、それでも尚ストイックに自分と向き合う人こそ、素晴らしいものを持っているに違いない。

アーティスト、芸人さんなんか、わたしの比ではないくらい頑張っていらっしゃる。

そう思うとじわじわパワーが湧いてくる。

コツコツ精神が大幅に欠落しているので、こういったことを常に念頭におくようにしています。

小学生の頃、古本屋で出会った”ご近所物語”の世界に心を奪われたことがきっかけで、

作ることにどっぷりはまっていった。

かといって洋服1着作ったことはないのだけど、

編み物や刺繍をこそこそ楽しんできたからこそ今がある。

(スポーツに明け暮れていたので、手芸が趣味なんて恥ずかしくて言えなかったので、こそこそしていた。ある意味気取り屋である。)

それに加え、出産を経て、子に誇れる仕事をしたいとも思うようになった。

これはわたしのモチベーションを格段にあげてくれ、子育てという縛られたような不自由な側面がかえって 仕事・家事・育児 の区切りを明確にしてくれた。

だから子を産めたことは、わたしにとって良い出来事であった。

少しずつ、少しずつ、手のかかることが減って行き、自分の時間はこの成長とともに増えて行くんだ。

今はもちょっと仕事したい、という気持ちがあるが、それはまぁまぁー来年には風向きがまた変わるだろうよ、と思っている。

もしこれを読んでくださっているお母さんたち、疲れたら、とりあえず今は睡眠優先で!

ともに頑張りましょう!オー!

ここを書き出すときりがないので今回は割愛するが、

かくいうわたしは、健康面ではかなりの問題児。

朝健康的な時間に起床し、夜も想像のつく時間には就寝するという当たり前のことを、当たり前にできるようになったのは、明らかに親になったことによる恩恵である。

気持ちよく過ごせるようになると、心持ちが変わる。

だから、生活習慣を変えることが自分を変えたい人には早道だ。

何したって根性がたりないわたしは、挫折して宵っ張りに戻るのが常だったので、神様が子を育てろ!と杖を一振りしてくれたんだろうなぁ、そう思う。

不完全な部分を矯正し、鍛錬するために、わたしには子育てが必要であったのだろう。

そう思うと、子のことも立派に見えてくるというか。あちらが監督なのだという気になる。

今年はありがたいことに大きなイベントへも出展でき、心持ちを改めることができた。

そして自粛期間で随分心もスッキリしたので、作家業を始めてこの夏6年が経つが、一旦リセット、これからまた1年目みたいに始める心持ちだ。

そもそもの話、これは毎年そういう気持ちでいろよ、ということなんだけどね。

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